![]() 1.私の戦争体験 私は大正末期の関東大震災の日に四国松山で生まれました。もの心ついたのは小学校入学時で満州事変(昭和6年)が勃発した頃です。この当時の不況、貧困、栄養不良による肺病の蔓延は、今なお私の脳裏から離れません。当時の社会経済状況は正に、現在の北朝鮮のそれ以上であつたのではないでしょうか。 日中事変は、私が旧制5年生中学入学時であり、太平洋戦争は中学卒業の年で、旧制高校入学直後の昭和16年12月8日でした。 私の中学時代には、戦争景気で子供時代に比べ若干景気は良くなっていました。中学3年生からは軍隊からの配属将校による軍事教練や、学校挙げてのスパルタ教育等により、滅私奉公の精神を徹底的に鍛えられました。現在の所謂ゆとり教育とか、自由とか民主主義とか、又子供同士によるいじめとか等とは全く別世界でありました。 又男子満20歳となると徴兵検査が義務付けられており、合格すれば即入隊し数年間の軍隊でのしごきが待ち構えていました。現在の成人式とはまさに隔世の感です。私も合格しましたが学生のため徴兵延期されていました。 太平洋戦争の真最中の昭和18年10月、大学(京都)に、(戦時中のため旧制高校を半年の繰上げ卒業)入学直後、戦況悪化のため文科系学生の徴兵制延期制度が廃止され、皆様もご承知の総理主催の神宮外苑での学徒出陣式となりました。私は幸い理科系のため大学に残りました。 ついに、昭和20年8月15日の敗戦の日を迎えますが、戦前2年、戦後1年計3年に亘る京都での学生生活は、私の子供時代の貧困以上に、京都の食糧事情の悪さによる飢えが、本来楽しかるべき学生生活を徹底的に苦しませてくれました。特に京都の底冷えのする冬の下宿生活での、飢えと暖房の無い夜の生活は、今でも脳裏から離れません。 2. 敗戦翌年の人生のスタート 昭和21年10月敗戦直後のゴタゴタの中をやっと卒業し、上記の如き飢えの体験により戦後の国土の復興の原動力は、食糧増産にあるとの考えで、農林省への就職を希望いたしました。戦争直後の焼け野が原では、現在以上の就職難でありましたが、私の土木系はさほどでもなく、農林省に採用され、幸い全国の食糧増産を担当する農地局計画部に配置されました。このことが3~4年後の愛知用水事業と巡り会いその計画担当係りの一員と任命されました。その後計画がまとまり世界銀行借款申請による外資導入により、愛知用水公団が発足し、大勢の先輩や同僚と出向したのが昭和30年10月でした。 以来公団での4年余りの在勤中、世銀借款のため派遣されたアメリカのコンサルタント会社(EFA)の拾数名の、現場経験豊富なエキスパート技術者より学んだ最新技術等は(私達は愛知用水大学と呼でいますが)、平成元年(昭和64年)3月定年退職するまでの30余年の間、国内や海外での水利開発事業を通じ、世界の水開発や食料増産事業に参加する契機となったのであります。 ![]() 3.現在の原発、エネルギー議論に対する疑問 戦前派の一人である私は以下のような疑問を持っています。 昨年の東北の大地震以来今日までの1年半の間、殆ど毎日の如く原発・エネルギー問題が、国論を二分する一大政治課題となっています。戦後60年の間、飽食と豊かさと、便利すぎるほど便利な生活に慣れている現代市民にとっては、充分なエネルギーが必要であることは理解で出来ないではありません。 しかし、私達戦前派からみると、仮にエネルギーが一割や二割減ったからといって、現在の如く大騒ぎすることなく、生活の質を少し下げ、節約、辛抱するとか、ゆずりあい(助け合い)等は出来ないのであろうか。豊かで便利な生活に久しく浸かっていると、以上の如き日本人本来の美徳をなくしてしまったのであろうか。 4. 我国の食料自給率40パーセントに対する疑問 現在我国の食料自給率は40%といはれています。これは欧米先進国中とびぬけて少ない自給率です。将来考えられる世界情勢から今後とも60%の輸入は続けられるのでしょうか。 ア.世界人口の急増(現在の70億人が近い将来90億人) イ.中国、インド、ブラジル等の新興国をはじめ、やがてアフリカ諸国等の生活レベルの向上 ウ.異常気象、現に今年の夏アメリカの旱魃による穀物価格の上昇が報告されています。今後財政的、個人的負担の増大に耐えられるのでしょうか。 食糧問題は将来石油に代わる世界の戦略物資になる危険性はないのであろうか 5.我国の食糧問題に対する国民的議論の展開の必要性 原発・エネルギー問題に加え最近更に、東南海地震対策が急にクローズアップされてきました。それはそれとして理解でき出来ますが、何故農業や食糧問題がこの様な国民的議論とならないのであろうか。僅かに、ときたまですが新聞紙上等でTPPについての若干の解説があるに過ぎません。それによりますと、加入により我国農業に多大の悪影響を及ぼすとか、又反対に外国との競争で農業が強くなるとか、私達一般市民にはがよくわからないまま、又知らしめないまま、将来国民生活のみならず命に係わる大問題が、政治決定されるのではないかと危惧を感じています。 エネルギーや地震問題は、直接国民が被害を受けているので、国民や政治家の理解や協力を得やすいが、食糧問題が盛り上がらないのは、戦後60年間飽食に安住している大多数の国民が、前述の如き危機感を自覚していないからではないでしょうか(エネルギーに対しあれだけ国民的議論があるのに)。 現在戦後生まれの国民は80%であり、これらの方々には飢えの実体験は殆どありません。一方、戦争と飢えの実体験者は、僅か数%の発言力の弱い高齢者のみであります。 飢えたことの無い人には、飢えのつらさや苦しさはわかりません。又私の体験では貧乏には耐えられますが、飢えには耐えられません。又エネルギーは生活の質の向上のためですが、食料は人間の命の問題です。 我国今後の食糧問題について、現在の原発・エネルギー議論0%、15%、20~25%と同様、例えば自給率40%、60%、80%に高めることついて国民的議論が展開されることを期待します。 ![]() 6. 更に青少年教育について一言 私の生きた大正、昭和、平成に跨る90年は、現代史の中でも最も栄枯盛衰の激しい時代でありました。敗戦前の15年戦争、敗戦、敗戦後の荒廃、約40年後の世界第2経済大国、それに続いて昭和から平成に移って間もなくのバブル崩壊と、その後今日に至る20余年に亘る不況、中でも最近に至って中国や韓国等の新興国の激しい追い上げに苦しんでいるのが我国経済界の現状です。 こうした時、昨今に始まり日本全土に発生している小中学生によるいじめが顕在化され、その対策が、教育界のみならず、地域社会、さらに警察や精神医までも巻き込んだ論争になっています。 こうした昨今の経済、社会問題の発生の根本原因は、戦後の発展を導いた第一世代と、それを引き継ぎ、戦後を支えた第二世代である団塊世代との間の指導理念や規律や躾に対する現場体験の著しい相違によるのではないでしょうか。 戦後の青少年教育は、豊かな生活の中での自由主義的、個人主義的教育、ゆとり教育、更に学校や塾を中心とする偏差値教育に偏り、学校以外での集団生活や友人との遊びや、現場体験を通じて体得できる、しつけや規律を通じての生きる力の教育に欠けた、内向き教育の結果によると考えられないでしょうか。現在では青少年のパソコンやその他のIT情報機器による学習や情報通信の発達が、更に内向き教育に拍車をかけています。 私は教育については全くの素人ですが、戦争体験者の一人として、現在の青少年教育に対し上記の懸念を抱いています。規律やしつけを重視した現場体験を中心とした、外向きの、ゆとりやゆるみでない、厳しい青少年教育についての再検討が、教育関係者のみでなく地域社会をも含み必要ではないでしょうか。 以上 ■
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by ichiike
| 2012-09-10 11:34
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